大判例

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大阪地方裁判所 昭和63年(ヨ)1665号 決定

申請人

戸田文明

右申請人代理人弁護士

戸谷茂樹

岩嶋修治

出田健一

横山精一

田島義久

被申請人

学校法人四天王寺学園

右代表者理事

森田禪朗

右被申請人代理人弁護士

西山要

白井美則

岸本昌己

山崎武徳

主文

一  申請人の申請をいずれも却下する。

二  申請費用は申請人の負担とする。

理由

(当事者の求めた裁判)

一  申請人

1  被申請人が申請人に対して昭和六三年四月二一日付けで四天王寺国際仏教大学学長槇場弘映名義をもってなした自宅待機を命ずるとの意思表示の効力を仮に停止する。

2  被申請人は、申請人が被申請人の設置する四天王寺国際仏教大学の研究室、図書館などに立ち入り、教育職員が利用する研究施設や設備を使用すること、同大学教授会に出席し審議に加わることを妨害してはならない。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

主文同旨

(当裁判所の判断)

一  当事者間に争いがない事実及び本件疎明資料並びに審尋の全趣旨によれば、次の各事実が一応認められる。

1  被申請人は聖徳太子の精神に則って学校教育を行うことを目的としている学校法人であり、その目的を達成するために四天王寺国際仏教大学文学部(以下「大学」という。)などの私立学校を設置している。

申請人は昭和五八年四月一日被申請人に雇用され、以来大学の専任講師として、主として歴史学の講義などを担当してきた教育職員であるところ、被申請人から昭和六二年二月一三日「申請人は、被申請人が学生に対する宗教教育の一環として毎週木曜日に行っており、教育職員にもその出席を義務づけている「礼拝・瞑想」及び「礼拝・写教」への出席状況が極めて不良である。」ことなどを理由とする懲戒解雇の意思表示を受けたため、大阪地方裁判所に対し、地位保全等の仮処分申請をしたところ(同裁判所昭和六二年(ヨ)第九四九号事件)、同裁判所は昭和六三年四月二〇日「申請人が被申請人との間で、被申請人の設置する四天王寺国際仏教大学の教育職員の地位にあることを仮に定める。」等の決定をした。

2  ところが、被申請人は申請人に対し、右仮処分決定のなされた日の翌日である四月二一日付けをもって、大学学長槇場弘映名義で「本日付をもって自宅待機を命ずる。」との記載がある命令書を送付し、その旨の意思表示をした。

なお、被申請人は申請人に対し、給与の支払をしており、申請人はこれを受領している。

3  申請人は、大学の研究室内に申請人の私物である数百冊の書籍・史料を置いており、現在研究している明治啓蒙思想などについての論文を書く場合、これらの書籍・史料を利用する必要がある。また、申請人は、大学の図書館にある申請人の専門分野に関する書籍・史料を利用する必要があるが、これらの書籍・史料は、他の図書館にも存在するものである。

二  そこで、先ず、自宅待機を命ずる意思表示の効力を仮に停止する旨の申請について判断する。

自宅待機は、使用者において労働者の具体的就労義務を免除し、労務の受理を拒否するものである。ところで、労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令にしたがって一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が就労を求めるべき特別の合理的な利益を有することなどから黙示的に合意が認められる場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものではないと解するのが相当である。そこで、自宅待機は、労働者に就労請求権が認められる例外的な場合を除けば、自宅待機によって昇給等において差別されるなどの特段の事情がない限り、単に労働者の就労義務を免除するものにすぎず、労働者に法的な不利益を課するものではない。

したがって、自宅待機命令は就労請求権が認められる場合には法的な不利益を伴うものとして懲戒処分と解すべきであるが、一般には、就業規則上、懲戒処分として規定され、賃金が支払われないものとされている場合等は格別、特段の事情がない限り、単に使用者の有する一般的な指揮監督権に基づく労働力の処分の一態様であり、業務命令の一種であると解するのが相当である。

このように、自宅待機命令を業務命令の一種であると解すると、使用者は一般的な指揮監督権に基づき、原則として自由に命令を発し得ることになるが、そもそも、労働契約において、労働力を確保しながら、就労をさせないという事態は、通常予定されていないところであり、自宅待機には、法的な不利益はなくても、種々の事実上の不利益が伴うことが予想されることを考えると、合理性や必要性を欠いたり、その必要性と労働者の被る事実上の不利益を比較して、後者が特段に大きい場合等は、業務命令権の濫用として、自宅待機命令が違法となると解すべきである。

しかしながら、自宅待機命令が業務命令権の濫用として、違法であり、無効と解すべき場合であっても、業務命令には法的不利益が伴わない以上、自宅待機命令の意思表示の無効確認を求める訴えは、過去の単なる事実の確認を求めるものであるから不適法と解すべきである。したがって、自宅待機命令の意思表示の効力を仮に停止する旨の仮処分申請は、就労請求権が認められない限り、原則として、被保全権利を欠くものとして、却下すべきことになる。

なお、申請人は、申請人が大学の教育職員の地位にあることを仮に定めるとの仮処分決定の当然の効力として、被申請人の自宅待機の意思表示の効力は停止されるべきである旨主張するが、右地位保全の仮処分決定は、いわゆる任意履行を期待する仮処分決定であると解されるものであって、かかる地位保全の仮処分決定に、申請人の主張するような効力が当然にあると解することはできない。

三  次に申請人が大学の研究室、図書館などに立ち入り、教育職員が利用する研究施設や設備を使用する権利(以下「施設使用権」という。)及び大学教授会に出席し審議に加わる権利(以下「教授会出席権」という。)を有しているかについて判断する。

申請人は、「申請人は大学の講師という大学の教育職員であるから、大学の自治と学問の自由に基礎づけられた憲法上の基本的人権として、学問研究をする権利があり、これは、使用者たる被申請人に対しても権利たる性質を帯びる。そして、学問研究の自由の制度的保障として施設使用権や教授会出席権が認められるべきである。」旨主張する。

なるほど、大学の教育職員には憲法上学問研究の自由が保障され、使用者といえどもその研究に対して、介入・干渉をすることは許されないが、そのことから直ちに労働契約において、施設使用権や教授会出席権が権利として認められていると解することはできない。大学の研究者は大学との労働契約において、教育・研究に従事する義務を負担するものと解されるが、憲法上学問研究の自由を有することから直ちに労働契約上、使用者に対して教育・研究をすることが権利として認められるとは言い難い。労働契約においては原則として、就労することは義務であって権利でないことは既に述べたとおりであって、具体的・個別的な特別の合意があるか、または、就労を求めるべき特別の合理的な利益があることなどから黙示的に合意が認められる場合は格別、一般的に大学の研究者であることから常に教育・研究をすることが使用者に対する労働契約から導かれる私法上の権利であるということはできない。

大学の教育職員に研究室、図書館などの施設の利用が許され、教授会に出席することが認められているのは、教育・研究をするという労働契約上の義務の履行を前提として、その義務の履行に必要な範囲において認められているものと解するのが相当であって、大学の教育職員には当然に、教育・研究をする権利があり、その制度的保障として、施設使用権や教授会出席権があると解することはできない。

大学の教育職員については、就労請求権、即ち、教育・研究をする権利が、明示若しくは黙示の合意の存在によって認められる場合にのみ、その権利行使に必要な範囲で、施設使用権が認められると解するのが相当である。また、教育・研究をする権利が認められ、その性質・内容から、教授会出席権が認められる場合もあり得るものと解される。

四  右二、三を本件についてみるに、申請人は、被申請人から自宅待機命令を受けたが、給与の支払は受けており、特段の法律上の不利益を受けている訳ではない。そこで、本件自宅待機命令は申請人に就労請求権が認められない限り、被申請人の有する一般的な指揮監督権に基づく、業務命令にすぎないと解される。そこで、申請人に就労請求権が認められるかについてみるに、労働契約等においてこれを認める旨の特別の定めはない。申請人の労務の内容は、教育・研究をすることであるが、右労務の性質上、就労を求めるべき特別の合理的な利益を有するかについてみるに、教育をすることについては、申請人において、合理的な利益がある旨の主張をしておらず、また、その疎明もない。次に、研究についてみるに、申請人は、主として歴史学の講義を担当してきた教育職員であり、現在は、明治啓蒙思想などについて研究しているものであるが、大学の施設外において研究をすることは、申請人において自由になしうるところのものであり、被申請人に対して、就労を求めるべき特別の合理的利益がある訳ではない。大学の施設を利用している研究についてみるに、なるほど、申請人は、大学の研究室内に研究に必要な私物である数百冊の書籍・史料を置いており、また、大学の図書館には研究に必要な書籍・史料が存在し、大学の施設を利用することが申請人にとって便利であることは否定できない。しかしながら、私物の書籍・史料は研究室以外の場所に置くことも可能であり、また、申請人の研究に必要な書籍・史料は大学の図書館以外にも存在していることを考慮すると申請人が研究をする上において大学の施設を利用することが必要不可欠であるとまでは言えず、したがって、研究の性質上、被申請人に対して、就労を求めるべき特別の合理的利益があるとは認められず、その他、黙示的に就労請求権が存在する旨の合意があることを窺わせる事情についての疎明もない。

したがって、申請人に教育・研究をする権利という就労請求権を認めることはできず、よって、本件自宅待機命令の意思表示は、法的不利益を伴わない業務命令であって、右意思表示の効力を仮に停止する旨の仮処分申請は、被保全権利について疎明がないということになる。

また、申請人に教育・研究をする権利が認められない以上、施設使用権や、教授会出席権を認めることもできない。

五  以上のとおりであって、申請人の本件仮処分申請は、いずれも被保全権利についての疎明がなく、また、これに代えて保証を立てさせることも相当でないから、これらを却下し、申請費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 原田保孝)

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